(戦跡)掩体壕・大沢1号&2号(武蔵野の森公園内)とその周辺
訪問/撮影日:2009年6月21日 ツイート参考:
◆写真と地図で読む!知られざる軍都多摩・武蔵野 (洋泉社MOOK―シリーズStartLine)
◆公園へ行こう! 武蔵野の森公園
◆調布飛行場周辺の掩体壕
◆調布飛行場 調布の戦争遺跡 忘れない〜あの日々〜
地図:
Google Maps
国土地理院うおっちず

▼掩体壕・大沢1号。
「写真と地図で読む!知られざる軍都多摩・武蔵野」
その後、整備され保存活動が進められたようで、2009年6月に訪れた時には武蔵野の森公園の一部とし誰もが気軽に見学できるようにフェンスで囲われ解説板が設置されていた。
風情に欠ける景観になってしまったのは仕方ないか。
左奥に、東邦航空株式会社(Google Mapsでは東京航空になっている)の丸い赤い屋根の建物が見える。
掩体壕(えんたいごう):
自軍の戦闘機を、敵の空襲から守るために建設された施設のこと。
コンクリートの屋根で覆った有蓋式の掩体壕は調布飛行場周辺に約30基あったと言われているが、現存するのは府中市と三鷹市にわずか2基ずつ。三鷹市の掩体壕2基は、野川公園内で見ることができる(かなりきれいに整備されている)。

▼掩体壕・大沢1号。

▼掩体壕・大沢1号。粗悪なコンクリでできている。

▼掩体壕・大沢2号。

▼掩体壕・大沢2号。

▼展望の丘に登ると掩体壕も調布飛行場もよく見渡せる。

▼展望の丘から眺めた掩体壕・大沢2号。

▼武蔵野の森公園の丘から一望した調布飛行場。
800mの滑走路が1本。右の遠方に見えるのは味の素スタジアム。

▼レトロタワーな管制塔。

▼味の素スタジアム。かつては味の素スタジアムの土地も調布飛行場の敷地だったみたい。

▼ 大沢1号・掩体壕のそばにある旧井戸。ちゃんと水が出た。

▼これも井戸?

▼市営大沢住宅の前には玉石張りの水路。
玉石張り(たまいしばり)の水路
戦時中(昭和16年竣工)調布飛行場周辺から水が浸入するのを防ぐためと、周壁に代用するために当時の東京市(今の東京都)が36万円(現在の価値で約1億3千万円)をかけ建設したもの。当時は野川まで続いていたようだが、現在ではここに一部が現存するのみ。
当時の文書を振り返ると、飛行場の境界に沿い底幅1m、平均深さ1.8m、側面法勾配1割2分とあり、玉石は多摩川より採取し、西武鉄道場内引込み線でここまで運んできたらしい。
建設当時は第二次世界大戦中だったため作業員が不足しており、大部分に刑務所受刑者を使ったと言われている。

▼都立野川公園もかつては中島飛行機三鷹研究所の敷地だったらしい。

