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都営長房第2団地(27号棟・28号棟のみ残して解体済)

訪問/撮影日:1999年9月24日〜27日頃、2007年6月8日

長房団地は、八王子市最大の住宅団地。都営と市営があるが、都営が大部分。当初の計画戸数は3,291戸だった。居住人口は約2万人。初めの頃はまだバスも通っておらず、歩かなければならなかった。2008年12月現在、北団地と南団地を残して大部分が解体・高層住宅に建て替えられている。陸軍幼年学校の跡地にできたため、20年位前(1987年頃?)までは児童館辺りに陸軍幼年学校跡(屋根はなく壁だけ)が残っていたらしい。

都営長房第2団地(解体)

▲18号棟。2007/06/08

旧・幼年学校跡の校門

▲昭和47年頃の都営長房第2団地(後方に見える建物)。
手前右の建造物は旧・東京陸軍幼年学校(建武台)の校門跡。
校門跡とのことなので、場所的にはこの辺だと思う。

都営長房第2団地(解体)

▲昭和47(1972)年頃の長房団地。

ショッパー 陸軍幼年学校

▲昭和58年(1983年)11月25日の地元情報紙ショッパー切抜き

都営長房第2団地(解体)
2007/06/08

▲2012年12月時点でまだ残っている27号棟。27号棟と28号棟のみ唯一残っていた。後はすべて解体。

都営長房第2団地(解体)

▲1999年9月24日〜27日頃。スーパーアルプス前から眺めた26号棟あたり。2012年12月時点で、この辺は何も建設されずガランとした空き地になっている。

都営長房第2団地(解体)

▲2008年12月現在まだ残っている27号棟と28号棟。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲長房第2アパート配置図

都営長房第2団地(解体)

▲ぽつんと残された49号棟。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲25号棟。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲児童館前から眺めた給水塔と35号棟。この給水塔も解体された。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲28号棟。病院があった。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲24号棟・19号棟の裏側から。立ち入り不可2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲28号棟(左)と27号棟(右)の間の商店街と病院・給水塔。
2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲18号棟と、閉鎖されたその1階の保育所。
2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲46号棟。左側に長房小学校。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲26号棟の出入り口。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲49号棟。2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲46号棟。その左側の赤い建物は長房小学校。
2007/06/08

都営長房第2団地(解体)

▲28号棟。右手に給水塔と病院の看板。2007/06/08

住所 東京都八王子市長房町
名称 都営長房団地(ながふさだんち) 
※正式な読みは「ながぶさ」らしいが、地元民は「ながふさ」と呼んでいる。
概要 長房団地は、 東京陸軍幼年学校の跡地にできた八王子市内の都営および市営の団地(アパート)棟。
竣工以前の歴史 もともと長房団地の一帯は船田原と呼ばれ、民家もまばらな地域だった。昭和19(1944)年3〜4月、陸軍幼年学校が新宿区(市谷)から激化する空襲に伴い疎開のために移転してきて、現在長房団地が建っている広大な敷地全体に20棟くらいの木造校舎が建てられた。長房の陸軍幼年学校は天皇により「建武台」と命名されたが、約1年半後の昭和20(1945)年8月2日、米軍爆撃機B29の数万発の焼夷弾投下により焼失。生徒や教官4,500名中10名が死亡した。戦後、土地は地元の人に返され、昭和40年代(1960〜1970年代)に長房団地が建てられた。81年横山橋のたもとに「建武台の碑」が建てられた。陸軍幼年学校敷地の西の端からさらに西100m位の所に有志によって観音像と芳名碑も建立されているらしい。
竣工 昭和43(1968)年〜昭和46(1971)年の間
昭和44(1969)年頃?(都営第二団地のみ)
都営第二団地人形塚公園から交番までの土地に建てられているが、その一帯はもともと未開拓の草むらで、人形塚公園も第二団地と一緒に作られたよう。

北団地ならびに南団地そして第二団地のはっきりした完成年は不明だが、国土地理院発行の昭和43年(1968年)撮影の空中写真には写っておらず昭和46年(1971年)撮影の空中写真には写っているので、その3年の間に建設されたということになる。
構造 おもに4階建ての中層住宅(都営第二団地)
解体 2008年(27号棟と28号棟のみ2008年12月現在でも現存)
慰霊 毎年4月10日に空襲で戦死した十数名の職員生徒の慰霊祭が多摩御陵と長房団地に隣接している東照寺(東幼観音)で行われている。
陸軍幼年学校について 陸軍幼年学校は全国に仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本の6校があったが、最少時は3校程度になったらしい。市谷の陸軍中央幼年学校は市谷本村町の陸軍士官学校構内にあったが、敷地の大部分はその後陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地と なり、現在は防衛庁となった。
旧版地形図 国土地理院 旧版 5万分1 図名: 八王子(明治43年〜昭和28年)
国土地理院 旧版 2万5千分1 図名: 八王子(大正14年〜平成19年)
空中写真 USA-M68-A-6-1-82 (1946/03/09撮影) 米軍 1: 11930
USA-M99-A-5-59 (1946/04/09撮影) 米軍 1: 39921
USA-M142-A-5No2-41 (1946/05/22撮影) 米軍 1: 39739
USA-M389-118 (1947/08/08撮影) 米軍 1: 9877
USA-R556-No1-173 (1947/11/14撮影) 米軍 1: 11806
USA-R556-No1-174 (1947/11/14撮影) 米軍 1: 11806
USA-R1232-2 (1948/03/31撮影) 米軍 1: 15875
USA-R1779-81 (1948/09/17撮影) 米軍 1: 14697
USA-M318-126 (1956/03/09撮影) 米軍 1: 19703
USA-M318-169 (1956/03/09撮影) 米軍 1: 19703
USA-M318-170 (1956/03/09撮影) 米軍 1: 19703
USA-M1010R1-81 (1957/10/10撮影) 米軍 1: 20000
USA-M1016-R4-156 (1957/10/16撮影) 米軍 1: 26000
USA-M1016-R4-157 (1957/10/16撮影) 米軍 1: 26000
MKT616-C1-7 (1961/08/31撮影) 国土地理院 1: 10000
MKT616-C2-7 (1961/08/31撮影) 国土地理院 1: 10000
MKT648X-C13-4 (1964/05/07撮影) 国土地理院 1: 20000
MKT646X-C1-4 (1964/05/16撮影) 国土地理院 1: 20000
MKT646X-C1-5 (1964/05/16撮影) 国土地理院 1: 20000
MKT684X-C7-5 (1968/05/09撮影) 国土地理院 1: 20000
MKT711X-C7A-6 (1971/04/25撮影) 国土地理院 1: 20000
MKT711X-C7A-5 (1971/04/25撮影) 国土地理院 1: 20000
CKT-74-16 C32 昭和49(1974)年撮影 1/8000 [9] [10] [11]
CKT-74-16 C33 昭和49(1974)年撮影 1/8000 [9] [10] [11]
CKT-79-1 C27A 昭和54(1979)年撮影 1/10000 [8] [9] [10]
CKT-79-1 C27B 昭和54(1979)年撮影 1/10000 [1] [2]
CKT-84-1 C26A 昭和59(1984)年撮影 1/10000 [7] [8] [9]
CKT972X-C5-5 (1997/06/30撮影) 国土地理院 1: 30000
KT20003X-C1-5 (2000/07/25撮影) 国土地理院 1: 30000
CKT20051X-C1-23 (2005/10/23撮影) 国土地理院 1: 20000
参考サイト 私の東京陸軍幼年学校
★★★ 八王子市・長房町 ☆☆☆
その他 参考 八王子図書館の二階に御陵線、幼年学校などの航空写真があるらしい。
書籍:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
書籍:「わが武寮―東京陸軍幼年学校史」 1982(昭和57)年 東幼会
赤甍 東京陸軍幼年学校第46期生50年史 東幼46期生会 平成6年発行
「八王子盆地の風景―写真で綴る少し昔の八王子―」
八王子郷土資料館


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