徘徊・散策・ローカル鉄道旅・レトロ物件探索・山登りのきろく

八王子の鉄道遺構、古い鉄道施設など



小仏の排煙装置裏高尾の甲武鉄道時代(明治)に作られた鉄道施設両界橋 煉瓦積橋台JR高尾駅レンガ造ホーム大阪窯業八王子工場引込線跡第2石曽根橋梁旧陵南会館(東浅川駅跡)八王子駅の転車台(解体済み)
甲武鉄道 小仏トンネル入口の排煙装置の遺構(裏高尾町)
Google MapsMapFan
JR中央線・小仏トンネルの東側の入口の上部に、明治時代に作られた甲武鉄道の遺構が残っている。これは蒸気機関車から出る煙を排出するための排煙装置で、昭和4年に導入されたが、すぐに中央線が電化したため、2年しか使われなかった。 かつては下の古い絵はがきの写真のように、トンネルの上に背の高い排煙装置がかぶさっていた。ちなみに甲武鉄道(現JR中央本線)の八王子〜甲府間の工事が着工したのは1896年(明治29年)12月八王子〜甲府間の電気機関車の運転を開始したのが1931年(昭和6年)4月
参考:JR東日本八王子支社|中央線まめ知識|中央線の歴史



古絵葉書より引用。「高尾山 小佛トンネル入口より影信山を望む」との説明書き。現在残っている土台の3倍位の高さの建物が立っていた。



【アクセス】
JR中央線 高尾駅・北口より路線バス「小仏」行き・終点「小仏」で下車 
バス 運賃220円(運行は6時〜20時、1時間1本) ※2009年1月現在の情報
電話 0426-42-2241(京王バス八王子営業所)
八王子駅の転車台(解体済み)
2013年2月に解体された。横浜線の車窓から撮影。



Google Mapsにはまだ現存時の航空写真が残っていた。

裏高尾町の甲武鉄道時代(明治)に作られた鉄道施設
Google MapsMapFan
JR中央本線の裏高尾町(高尾駅〜相模湖駅間)には、小仏の排煙装置以外にも、甲武鉄道時代(明治)に作られた施設がところどころに残っており、JR中央本線の施設として現役で活躍している。

旧甲州街道と小仏川をまたぐ煉瓦アーチ橋。小下沢梅林への入口にある。



浅川国際マス釣り場付近の小下沢に架かる甲武鉄道の煉瓦積みのアーチ橋。

両界橋 煉瓦積橋台(中央線第一淺川橋梁)
Google MapsMapFan
南浅川に架かる両界橋と立体交差するJR中央本線・第一淺川橋梁高架。下り線・高尾側に甲武鉄道時代に作られた煉瓦壁が確認できる。上り線に煉瓦壁がないのは、もともと単線だったのを後年コンクリートを足して複線化したため。ちなみに高尾〜小仏間の複線が開通したのは1962年(昭和37年)4月14日らしい。



第一淺川橋梁の上を走る、懐かしのオレンジ電車201系。正面に花屋旅館が見える。

JR中央本線 高尾駅レンガ造ホーム
Google MapsMapFan
JR高尾駅4番線ホーム。現在使われているホームの下半分に、甲武鉄道時代に作られた煉瓦プラットホームが確認できる。高尾駅が開業した当時(1901年・明治34年)は、デッキにステップのついた列車のみが発着しており、ホーム丈は今より低かった。その後ステップ不要の車両に対応するために、積み増しされた。4番線以外のホームは外壁も塗りつぶされていて、煉瓦が確認できない。高尾駅だけでなく、相模湖駅鳥沢駅四方津駅などでも甲武鉄道時代の煉瓦ホームが確認できる。



2番線ホーム相模湖寄り(南側)先端。積み増しされずに、元のホームの高さを留めている部分が残っている。



2番線ホーム相模湖寄りの外壁。赤いセメントで塗りつぶされているが、セメントが剥げ落ちた部分に煉瓦積みプラットホームを確認することができる。

大阪窯業八王子工場引込線跡
Google MapsストリートビューMapFan
1932(昭和7)年の火災で全焼するまで由井村(現在の八王子市長沼町、湯殿川の右岸)で操業していた大阪窯業八王子工場(元・八王子煉瓦製造株式会社)への引込線跡。コンクリート製の橋台が片側のみ現存する。
参考文献:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 P.116

第2石曽根橋梁
Google MapsGoogle Street ViewMapFan.webゼンリン
JR中央線とJR八高線の分岐にある。甲武鉄道時代(明治)に作られた橋りょうで、旧・八王子駅まで続いていた。2000年頃まで近くの民家の中にも甲武鉄道の煉瓦積み擁壁が残っていたらしいが、2007年に見に行ったら駐車場になっていた。残念ながら解体されたらしい。道の真中に突き刺さってる古い木材も気になる。
参考:「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 のんぶる舎
参考:JR東日本 中央線の歴史

旧陵南会館(東浅川駅跡) ※火事で消失
Google MapsMapFan
旧東淺川驛、東浅川仮停車場跡。大正天皇の崩御に伴い、多摩御陵参拝用の皇室専用駅舎として開設された駅。『駅設置→列車移動から車移動が主流になって使われなくなる→八王子市に払い下げられる→市立陵南会館として市民に利用される→1990年10月に過激派による爆弾テロ(火事)で消失→駐車場となり"陵南会館"と書かれた門札だけが残る』という変遷を遂げている。八王子市の各種市民イベントやいちょう祭りの会場として利用されていた時期もあった。過激派による爆弾テロ(火事)と関連あるのか分からないが、昔、南淺川橋で右翼の凱旋車が何台も集結していたのを見たことがある。ものすごく物々しくて異様な雰囲気だった。でも近年は陵南界隈どころか八王子市内においてさえ右翼の街宣車を見ることはほとんどないし、数年前には多摩御陵入口交差点の角にあった交番も撤去されて民家が建ってしまった(2011年頃?)。そういう時代だったのかと思う。



古絵葉書より引用。東淺川驛(上)と南淺川橋(下)



古絵葉書より引用。 「多摩御陵 御参道より東淺川驛を望む」



参考書籍
「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」 山田 俊明著 のんぶる舎 1999年7月10日発行

Free Graphics by hibana
inserted by FC2 system