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きだみのる「気違い部落」の里めぐり - 下恩方・辺名町

訪問/撮影日:2013年5月 

元八王子市民センターで「気違い部落」を見て来ました。
渋谷実監督 1957年 松竹大船 きだみのる原作 菊島隆三脚



肝心の原作のほうは図書館の予約待ちで未読ながら、きだみのる縁の地を巡ってみる。
1943年(48才)から1965年(70才)までの22年間をこの辺名(へんな)部落で過ごしたらしい。

参考:きだみのる「気違い部落」 松岡三五郎のひとりごと
参考:Web八王子事典 きだ みのる
参考:公平な分け方は悪徳に分類される強欲の所産である(きだみのる)
参考:「気違い部落周游紀行」の原風景〜八王子市上恩方町上案下 - 澎湖島のニガウリ日誌
参考:気違い部落周遊紀行 きだみのる everyman's Rock etc
参考:辺名地区の航空写真(Google Maps、国土地理院)
参考:MapFanWeb(地図)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)




辺名地区の地図の変遷

大正時代の辺名地区周辺の地形図。
辺名は「邊名」と記載されている。
木の工房くさ野」がある所あたりに病院があったらしい。
医王寺の南西部の山(砕石のために切り崩されてしまった)が標高300mと記載されている。
川原宿に郵便局の記号も確認できる。



昭和初期(戦前)の辺名地区の地図。
大正時代の地図とさして変化はない。
川原宿の郵便局はどうやら移動したらしい。
小津川の表示が大正時代よりはっきりしなくなっている。



戦後(昭和24年)の辺名地区の地図。
地形的に大きな変化はない様子。
「邊名」が「辺名」の表記に変わり、右書きから左書きに変化している。
木の工房くさ野」あたりにあったらしい病院はなくなっている。



高度成長期時代の辺名地区の地図。
小津川が非常にくっきり描写されるようになった。
川の位置は大正時代とさほど変わっていないようす。
辺名の桜塚から新たに道路が敷設され(モリアオガエルの道)、三叉路ができあがっている。
都道61号線も敷設されている(右上)。



現在の辺名地区の地図。
作成年月不明の地図だが、上の地図から40年近くブランクがあると思われ、地形が非常に大きく変わっている。
平地部に満遍なく建物が立ち並び、工場地帯もでき、圏央道や支線道路が作られている。
川原宿の郵便局はなくなってしまった。



訪問地リスト
1.新しめのコンクリブロックの祠に入れられた古地蔵
2.古い木製電柱
3.御嶽神社
4.壊れかけた古い石仏
5.古地蔵の大きめ祠
6.辺名の桜(辺名の三叉路)
7.元神社跡(?)の小さな祠
8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑
9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
10.醫王寺(医王寺)
11.金山神社
12.辺名部落
13.自家製酵母パン屋グルヌイユ

3.御嶽神社
鬱蒼とした山の麓にある神社。映春に百八灯祭が行われるらしい。映画「きちがい部落」のロケ地。



3.御嶽神社
この境内で映画「きちがい部落」のロケが行われたらしい。
春には百八灯祭という祭りが開催されるらしい。

参考:ひなたぼっこの縁側日記 春祭り(百八灯祭)
参考:柏書房 『江戸東京歳時記をあるく』 第43回:下恩方上宿の百八灯



3.御嶽神社
周囲には他にも木造小屋や古い石造の祠や踏み跡などがあった。



3.御嶽神社 太子堂



3.御嶽神社 太子堂
太子堂前の古い石仏



2.古い木製電柱
正面の山の裏側に、きだみのるが住み着いた廃寺、医王寺がある。
民家が14軒しかなかった辺名集落と違い、こちらの川原宿の集落は大正時代から栄えていたようだ。



1.新しめのコンクリブロックの祠に入れられた古地蔵
上宿町会会館の駐車場内にある。
上宿町会会館の南西の細い路地は近年拡張されたものらしく、昔の地図には載っていない。



1.新しめのコンクリブロックの祠に入れられた古地蔵
古地蔵は比較的小さい。



4.壊れかけた古い石仏
石仏はかなり風化しているが、辺名の三叉路にあるのと同じ腕が6本タイプのものに見える。
名もなき細い裏道だが、江戸時代などから存在していた歴史ある道なのだろう。



5.古地蔵の大きめ祠
祠は昭和53年(1978年)に作られたもの。



 

6.辺名の桜(辺名の三叉路)
東に伸びている道は昭和24〜41年(1949〜1966)の間に拡張されたもののようで、アスファルト自体は結構新しい。
この道路は「モリアオガエルの道」として小津町の方まで続いている。
その整備された道路の真ん中に不釣り合いな古い石仏群が鎮座している。

参考:八王子よいとこ_モリアオガエルの道-1 東京八王子UTR不動産のつぶやき日記



参考:Web八王子事典 辺名(へんな)の桜
下恩方町辺名の三又路にある.昔から土地の人は“小津(乙)な所に辺名の桜”と呼んできた.江戸期,千人同心たちが大山参りの際に桜の幹の上で酒杯を交わしたと伝えられ,「日本老樹名木誌」に記載された名木であった.現在,枯死した幹の両側に2本の桜が植えられている.木株の下に芭蕉の句碑がある(『三多摩風土誌』).

6.辺名の桜(辺名の三叉路)
(左)芭蕉の句碑 参考:ひなたぼっこの縁側日記 謎が解けた三叉路
(右)腕が6本ある古い石仏  「天明三年(癸卯)八月朔日」の刻印。1783年の石仏のわりには風化が少ないように感じる。

 

6.辺名の桜(辺名の三叉路)
古い石造の祠もある



7.元神社跡(?)の小さな祠
医王寺入口の分岐、民家が解体されて更地になったらしい部分の隅っこに小さな祠がある。
1966年頃まではこの辺に神社があったらしい。
妙な場所にあるこの小さな祠は神社の名残?
辺名町会館の裏に「金山神社」という妙に新しい神社があるが、もしかして以前ここにあった神社が辺名町会館の裏に移動したとか?
いろいろと詳細不明。



医王寺入口の分岐。辺名集落。
戦中この一帯に14世帯の民家が立ち並んでいた。
この道の突き当り、正面の山の右手側の麓に醫王寺(医王寺)ある。
正面の山の左側の麓に御嶽神社がある。



辺名町会館
やけに新しい。



11.金山神社
辺名町会館の真裏にある神社。
やけに新しいのが気になる。
以前別の場所にあったのが移動したのか?と勝手に推察。



9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
かなり古そうだけど、文字類は風化していて判読不可能。
100年とかは経っていそうなので、元からこの場所にあったかは不明だけど、きだみのるが醫王寺(医王寺)で暮らしていた時、その往来を見守っていたんじゃないかな。



9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体



9.醫王寺(医王寺)の古地蔵3体
裏側。全然文字類は読めない



10.醫王寺(医王寺)
山の斜面を利用した墓地。
建造物が新しい物ばかりで戦中戦後の面影は全くないけど、急な地形だけは映画「気違い部落」のイメージに重なる。



10.醫王寺(医王寺)
きだみのるが戦中に疎開してきた当時は廃寺だったらしいけど、今はすっかり整備されて、まったく当時の面影を感じられるものはない。



醫王寺(医王寺)の裏山
お寺の裏側は更地になっていて、きだみのるが住んでいた当時とは全く雰囲気が異なっていると思われる。
1970年代か1980年代に造成されたみたいだ。



醫王寺(医王寺)の南西部の山は1970年代から採石場→圏央道と変遷を遂げたようだ。
かつて標高300mの山が寺の南西部にそびえていたようだが、砕石のためにすっかり切り崩されてしまったようす。



採石場になってしまった醫王寺(医王寺)の南西部



醫王寺(医王寺)の東側の山
この山の向こう側に、映画「気違い部落」のロケが行われた御嶽神社があり、ぐるっと回らずに近道できれば便利そうだが、この岩肌の目立つ急斜面だと往来できる気がしない。



8.下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地 石碑
辺名集落のはずれの空き地に建立された石碑。
参考:下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地|八王子市



13.自家製酵母パン屋のグルヌイユ
辺名の三叉路(辺名の桜)近くにある。 かつての辺名部落のはしっこの方にあるお店。




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