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裏高尾 (湯の花)いのはなトンネル(中央線419列車への銃撃)

訪問/撮影日 2005年、2009年、2010年

昭和20年(1945年)8月5日、浅川駅(現・高尾駅)を出発した新宿発松本行きの419列車が、湯の花トンネル(裏高尾町)にさしかかったところ、飛来してきたP51戦闘機7機の銃撃を受けた。その日、八王子空襲で不通になっていた中央線がようやく運転を再開し、419列車は疎開や買い出しに山梨・長野方面へ向かう人々であふれていたと言われている。死者52名、負傷者133名。列車への空襲では、我が国最大の被害となった。
参考:『警視庁史』/齊藤勉『中央本線419列車』/八王子市教育委員会 ブックレット『八王子空襲』/八王子市郷土資料館

第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月5日正午過ぎに、湯の花トンネル手前で満員状態の国鉄中央本線の列車がアメリカ軍のP-51戦闘機複数機による執拗な機銃掃射を加えられ、多数の死傷者が発生した。
湯の花トンネル列車銃撃事件 - Wikipedia

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

上り線の八王子側出口。明治時代のままの煉瓦積みトンネル。
初夏になると、まるで襲撃された戦死者を弔うかのように線路わきにひっそりと白いユリが咲く。
昔はこんなジャンクションも何もなく、木々が深々と生い茂り、静かで鬱蒼とした場所だった。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

「湯の花トンネル 1609m」プレートの右わきにも、機銃掃射による銃痕が残っている。標準歩行時間約2分。
※現在も中央本線が往来しているトンネルです。危険ですので近寄らないで下さい。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

煉瓦にも機銃掃射の銃痕が残っている。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

いのはなトンネル慰霊碑への入口。蛇滝口バス停わきの小道をはいる。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

列車銃撃を受けた419列車を牽引していた電気機関車ED16-7のプレート(八王子市郷土資料館所蔵)。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

いのはなトンネル銃撃時の状況。
齊藤勉『中央本線419列車』/八王子市郷土資料館展示より

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

慰霊のつどいのポスター
毎年夏になると地元の町の掲示板に慰霊のつどいの告知ポスターが貼られる。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

線路わきに佇む慰霊碑

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

線路わきにたたずむ石仏群

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

いのはなトンネル入口(蛇滝口バス停)ストリートビュー



圏央道(中央自動車道)ジャンクションが出来る前のいのはなトンネル航空写真(1988-1990年頃)

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

すっかりジャンクションができあがったいのはなトンネル周辺。
周辺には梅林も点在し、毎年春になると多くの見物客が訪れ、スタンプラリーも開催されるが、すっかり景観が壊れてしまった。

裏高尾 いのはな(湯の花)トンネル

住所 東京都南多摩郡浅川町(現住所、東京都八王子市裏高尾町800)付近
概要 終戦間近の昭和20(1945)年8月5日午後12時20分頃、満員の中央線・新宿発長野行の列車がトンネル入口に差しかかった時、米軍戦闘機に銃撃され52名以上の人々が死没し、133名の人々が重軽傷を負った。現在も8月5日には毎年慰霊のつどいが行われている。
交通 JR高尾駅・北口より「小仏」行きバス・「蛇滝口」で下車すぐ目の前 片道運賃190円(2005年7月現在)
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