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(戦跡)浅川地下壕 見学記



訪問/撮影日:2009年1月2〜3日(高乗寺側の出口、ハ地区、井戸、御室社)、2009年8月12日(高乗寺総門跡)、2011年2月2日(イ地区落合側の出口)、2011年2月19日(内部見学) 
浅川地下壕は、通常は非公開。見学会開催の告知を見て参加してきた。見学可能なのはイ・ロ・ハ地区ののうち、イ地区のみ。
民家の裏側に入口があり、入るのに庭を通らせてもらう。 
詳細:浅川地下壕の保存をすすめる会





入口には赤い鉄格子がはめてある。



出口付近に貼ってある張り紙



浅川地下壕には東大の地震計測器が設置してある。東日本大震災時の値はどうだったんだろう。



補強鉄骨。浅川地下壕では1999年にダイナマイトが発見され、撤去作業が行われている。合計3トンものダイナマイトが見つかったらしい。
ちなみに発見者はテレビの取材で訪れていたタレントだったとか。撤去時には高尾警察署や消防署も待機していて、実際に作業を行ったのは自衛隊だったらしい。



▼平成10年に発見され、撤去作業が行われた、壕の掘削に使用されたと思われるダイナマイト類。
ダイナマイトが詰められていた木箱や包装紙類の資料は、戦時中の地下壕掘削に関する基調な資料となっている。
八王子市郷土資料館 平成12年度特別展『八王子の二十世紀』展示図録より引用




電線は地震計測器用のもの。ここは地下壕の中でもかなり広い部分



トロッコの枕木が敷設されていた跡



削岩機の試作のあと。ダイナマイトの発破跡もある。



ところどころ水が溜まっている部分があり、脇に側溝が掘ってある。



岩肌は全体的に白っぽくなっていて、光を当てると銀色にキラキラ光る。鉱石のようにも見えたのだが、カビではないかとのこと。



分岐



鍾乳石のようなものあった。



内部の地震計測器が設置してあるところ。地下壕の見学は制限があり、月1回と定められているらしい。
見学者がはいると地震計が揺れてしまうため、見学会を開催時は地主の高乗寺を通じてあらかじめ東大地震研究所に届け出る必要があるらしい。



外に設置してある東大の地震計測器



こちらは内部が崩壊して通行不可能な坑口。近くには高乗寺龍雲橋がある。



こちらも赤い鉄格子。

浅川地下壕

立ち入り禁止で鍵もかかっているので入れない。

浅川地下壕

▼イ地区、落合側の出口。冬になって樹木が枯れると、京王線の高尾〜高尾山口(第1トンネルと第2トンネル)間の車窓からも一瞬見える。
幼い頃、入口を塞いでいるのはコンクリートブロックでなく巨大な鉄板状の板だったと思い込んでいたが、どうやら記憶違いらしい。
親に「あれは防空壕だ」と教えられ、ものすごく恐ろしく思ったのを覚えている。



土砂が崩れている坑口。



▼浅川中学校の奥にあるハ地区の地下壕の入口。ほとんどコンクリで埋め尽くされていて、地下壕なんだかよわからない状態。Google Maps
ロ地区は三和団地の下にあり、確認できる坑口などがあるのか分からないが、地下壕のせいでたびたび三和団地では陥没事故が起きたと聞いている。

浅川地下壕

▼ハ地区・地下壕入口のそばの民家の庭にある古井戸。

浅川地下壕

▼浅川中学校入口脇にある高乗寺総門跡の石碑。
1944年秋、地下壕工事が始まるとこの総門跡に憲兵の検問所が設置され、人々の出入りを厳しく制限するようになった。
高乗寺の本堂はここから700mほど先にある。 Google Maps

高乗寺 総門跡

▼左端の階段の上が浅川中学校の敷地。
地下壕のズリ場の跡を整地して校舎を建てたため、中学校の敷地は周辺より高い地形になっている。
参考:フィールドワーク 浅川地下壕―学び・調べ・考えよう P.43-45

高乗寺 総門跡

▼上の地下壕付近にある神社・御室社とその石碑

神社

神社

おわり

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