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小坂鉱山 大煙突(解体)

小坂鉱山 大煙突(解体)

▲大煙突にちなむパネル説明

大煙突は藤田組経営時代の明治35年に建てられた高さ約200尺(60.61m)の八角形の煉瓦造りで、その偉容は小坂鉱山のシンボルであり、吐き出す煙は鉱山の隆盛を物語るものだった。
昭和15年上部に亀裂が生じて約15m切断、以後使用を中止、昭和25年に取り壊されて50年におよぶ姿を消した。

レンガ構造で、八角形の外観を持ち、高さが約61mという巨大な煙突だった。昭和13年に建設された円形のコンクリート造大煙突も同じ規模で、旧煙突解体までは2本の大煙突が小阪の空にそびえ立っていた。

黒鉱自溶製錬による煙の拡散を目的に建設された大煙突は、小中学校の校歌や絵画にも登場するほど。鉱山発展のシンボルとしてその偉容がたたえられた一方、農民たちにとっては、煙害をもたらす悪のシンボルでもあった。昭和13年(1938)8月17日にはコンクリート中央大煙突も完成。旧煙突は老朽化のため使用を中止し戦後解体された。後、排煙から硫酸を製造する硫酸工場が完成すると、新煙突もその役目を終え、姿を消した。

小坂鉱山 大煙突

▲中央1号煙突(この写真は鉱山事務所にあったパネル写真を写したものなので、反射で写りがおかしい)


住所:〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字尾樽部
建築構造:煉瓦造
建築年:明治35年(1902)
解体年:昭和25年(1950)

大煙突があった場所
Google Maps
国土地理院・地形図
(国土地理院の地形図には2008年12月現在でも煙突の地図記号が地図上に残っている)
この地図によるとこの辺りにも中央煙突あった?

訪問/撮影日 : 2007年1月19日

▼小坂鉱山の大煙突の姿は、古絵葉書などでよく見ることができる。

小坂鉱山 大煙突(解体)

小坂鉱山 大煙突(解体)

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼大煙突が円形+鉄筋コンクリート製になので、少なくとも昭和13年以降の写真らしい。大煙突の麓が「溶鉱棟(製錬課)」。道路+線路はさみ「分析課」。標高が下がるに従い「製錬棟」「電錬棟(分銅場)」「工作課(電線など製品をつくる)…と並ぶ。画面右に元山小学校。

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼昭和46〜47年頃(1971〜1972)頃の写真
大煙突手前に見える四角い高層建築物は「硫酸工場」
(これの完成以降「亜硫酸ガス」は排出されなくなった)
画面中央に、電解棟(分銅場)

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼三代目大煙突 明治42年竣工。
1908(明治41)年より露天掘が開始され、出鉱量が格段に増大したため、急ぎ、新溶鉱炉+大煙突が、坂の奥にある丘の上に建造された。明治の大煙突は角型であることに注意。左は電気製錬棟、右の通りは銅場(ぶんどうば)の坂。この丘には、昭和13年、鉄筋コンクリート製“(丸型)大煙突”が増築された。

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼昭和40年代〜昭和43年(1968)以前の写真。
四代目大煙突 昭和13年落成

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼明治期の大煙突。
明治初「溶鉱炉の燃料用薪炭材」として、小坂一帯の樹木は切り倒され、ハゲ山だらけとなった

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼明治後期〜昭和中期、小坂一帯の山は煙突から排出される亜硫酸ガスによる災禍でハゲ山だらけとなった。左:二代目大煙突 明治35年竣工。1868年十勝沖地震により倒壊。明治38年(第二代小坂鉱山事務所落成)数年前(明治35-36年)。左列 手前から三軒目 「教師館=初代小坂鉱山事務所」?道路沿い煉瓦造建築物=電気製錬棟 道=分銅場の坂 その右に川(大谷地川)  その下=溶鉱炉 手前の空き地に後年鉱山事務所が建築される

小坂鉱山 大煙突(解体)

▼1918(大正7)年 初代大煙突(左)と二代目大煙突(中央)

小坂鉱山 大煙突(解体)

参考
小坂のあゆみ
小坂鉱山の歴史・ひとくちメモ
画像掲示板

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